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おかえりなさいさつま二

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東京都中央区銀座7-6-7-1F

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ママ

植村 亜紀子

1965年8月18日 鹿児島県薩摩川内市生まれ
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「ママ」になるまでのストーリーとその想い

何事もなく…とは決して言えない幼少期。人並みに幸せや夢を持ち始めた思春期も過ぎ、鹿児島市内の短大を卒業した頃からの話になります。
かねてからの夢であった「女優」その華やかな舞台へ向けて単身上京。
鹿児島でも多少のモデルのバイトなどはしてきたが、東京での学びや、出会い、何もかもが新鮮で、とにかく夢中に日々を過ごしました。

特に人との出会いは、私の人生を大きく変えようとしていたのです。
「これって成功への一歩に繋がる出会いかな?」
そう思える人との出会いでした。しかし現実は私への試練の出会いでした。
夢を抱いて上京したはずの自分が、多額の借金を抱えたような状況になっていたのです。

もう夢どころではありません。「とにかく働くしかない、やるだけよろう!」
そう思い、始めた営業の仕事、夢と引き換えに与えられた試練、とにかく必死で働きました。「人並みでは返せない!人と同じことをしていても結果はついてこない」あの手この手、やれることは何でもしました。
気が付くと、営業成績はうなぎのぼり、ついには全国でナンバーワンとして表彰されるまでに。

二十歳で上京して約十年、借金もなくなり三十目前。
「次は何をすればよいのだろう?」
そんな疑問を胸に、とりあえず鹿児島へ帰ることに…

なつかしい鹿児島の天文館を歩きながら、ふと思ったのです。
「料理屋さんをやろう!」何の経験も無く本当の思い付きでしたが、「私は何でもできる」そう思えたのです。過去に乗り越えた試練が、私にそう思わせたのでしょう。
30歳にして、小料理屋の女将。店の名は「酒彩おかえりなさい」
たった8坪の小さなお店でしたが、毎日満席で商売繁盛でした。
それでも満足はしません「もっと多くのお客様に来てほしい」そう思うと、徐々に移転を繰り返し、約1年後にはダイヤモンドビル最上階の100坪のラウンジ「倶楽部おかえりなさい」のママになっていました。 ママ
30歳にして、小料理屋の女将。店の名は「酒彩おかえりなさい」
たった8坪の小さなお店でしたが、毎日満席で商売繁盛でした。
それでも満足はしません「もっと多くのお客様に来てほしい」そう思うと、徐々に移転を繰